■業種紹介 汲xOSHIKA 常務取締役
■社名 古宇利島YOSHIKA
■YOSHIKA・Web担当・ときにはシェフ 重畠 雅弘
■メニュー
■住所 〒905-0406
沖縄県国頭郡今帰仁村古宇利321
■TEL 080-2055-4000
■営業時間 10:00〜
■アクセス 古宇利島ふれあいセンターより、徒歩1分
■本人紹介 重畠雅弘(通称:しげ または 義理の脇差)
■出身地 鹿児島市
■古宇利島へなんでも一言
勝負し成長できる場所を与えてくれてありがとう
■YOSHIKAに来る前の自分
鎖に繋がれよく飼いなされた犬 (サラリーマンで、日々の餌(給料)にはことかかないが、行動範囲はわずか「鎖の長さ」のみ!それで人生が終わってしまう・・・
しかも、飼い主の経済状況に日々の餌は影響され、時には、突如、捨てられる場合もある)
■YOSHIKAにきてからの自分
自己の責任で鎖を解き放ち、自由を得た「野生化した犬」
獲物が採れなければ、1週間以上も飢えと戦わなければならないリスクはあるが、本当の自由を手に入れた。自分の判断で、自分の責任で真に行動できる
■本人にとってYOSHIKAとはこんな場所
天下布武をかかげ快進撃をつづける信長軍団に似ている
■好きな言葉
「人事を尽くして天命を待つ」
「ビジョン(vision)なき民は滅びる」
「リスクなきところに成長はなし」
「力なき愛はただの無力であって、愛なき力はただの暴力である」
「半ばは己のために、半ばは他人のために」
■仕事に対しての想い
常に自身の刃を研ぐことを忘れず、
ひとつひとつ、コツコツと努力を積み重ねていく事を心がけています
■本人からのメッセージ
日々「礼を重んじ」「努力することをいとわず」「周りの仲間と調和(一致団結)」し、自分自身のビジョンをしっかり持つことが大切!(ひとりよがりなビジョンなんて誰にでも持てるので、勘違いのないように)
その事によって、
孤独になることも多いけど恐れず自分の道を信じて歩み続けること。自分のビジョンに向かってひとつひとつ努力を重ね続ければ、おぼろげながらも必ず道は見えてくるはず!
■まんが ★しげストーリー★
※「心の響き」の後に、個人の思いを綴りました。興味のある方はご覧ください。
■YOSHIKAへ来てからの本人の「心の響き」
(本人が素になって書いた心の詩です)
狼
食事に毎日ありつける生活
だけど、鎖につながれっぱなし・・・
そんな生活よりも、
獲物が取れずに1週間、飲まず食わず
飢え死にするかもしれない毎日
でも完全に自由!!
飼いならされた「犬」ではなく、
野生の狼として生きていきたい
特別付録 〜YOSHIKAの商工会番外編〜
(興味のある方はお読みくださいw)
■尊敬する戦国武将 島津義弘
戦国時代、日向の「伊東氏」、九州の雄「大友氏」、肥前の熊「龍造寺氏」を打ち破り、事実上九州の覇者となる。
敵がどんなにも強大でも、正面から力の限り戦い、自身のお国や家のためにその名のとおり命を懸けて戦い守り抜くところが好き。
「秀吉」「家康」に敗れはしたが、見事に60万石を守り抜き、のちの明治維新にまで、その意思が受け継がれた。
秀吉の朝鮮出兵の時の、1万の軍勢で10万もの朝鮮・民の連合軍を打ち破った話も有名。朝鮮出兵時、多くの武断派の武将を助けた。そのことにより、後の「関が原」敗戦時に、多くの武断派の大名達が徳川との仲介に入ったといわれる。
〜wikipediaより引用〜
薩摩に戻った義弘は、敗戦の痛手にもめげず薩摩領全土をあげて徳川からの討伐に対する武備を図る姿勢を取って国境を固める一方で、全身全霊を傾けて家康との和平交渉にあたる。ここで義弘は、和平交渉の仲介を関ヶ原で重傷を負わせた井伊直政に依頼した。この選択は賭でもあったが、頼られた直政は誠心誠意、徳川・島津の講和のために奔走している。また関ヶ原で島津勢の捨て身の攻撃を目のあたりにした福島正則の尽力もあったとも言われる。
慶長5年9月30日(1600年11月5日)、当主出頭要請を拒み軍備を増強し続ける島津家の態度に、怒った家康は九州諸大名に島津討伐軍を号令。
黒田、加藤、鍋島勢を加えた3万の軍勢を島津討伐に向かわせるが、家康は攻撃を命令できず睨み合いが続いた。関ヶ原に主力を送らなかった島津家には1万を越す兵力が健在であり、
戦上手の義弘も健在。
もしここで長期戦になり苦戦するようなことがあれば家康に不満を持つ外様大名が再び反旗を翻す恐れがあったため、家康は態度を軟化せざるを得ず11月12日(12月17日)、島津討伐軍に撤退を命令した。
そして、慶長7年(1602年)に島津本領安堵を決定する。
すなわち、「義弘の行動は個人行動であり、当主の義久および一族は承認していないから島津家そのものに処分はしない」とした。まさに方便ともいうべき論法であるが、こうして島津氏に対する本領の安堵、島津忠恒(長男は夭折、次男・久保は文禄の役で陣没)への家督譲渡が無事承認された(異説あり)[8]。
島津を誅伐出来なかった家康はこのことが心残りで、死に臨んで遺体を薩摩に向けて葬るように遺言を残したとされる。
家康の憂いは250年後に現実のものとなる。
■人生へのスタンス
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し。
いそぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし。
こころに望おこらば、困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基。いかりは敵とおもへ。
勝事ばかりを知りてまくる事をしらざれば、
害其身にいたる。おのれを責めて人を責めるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
〜徳川家康〜
人間の一生というものは、重い荷物を背負って、果てのない遠い道を歩いていくようなものだ。長距離レースなのだから、一時的な思いで急いではならない。不自由な状態であっても、それが当たり前のことと思っていれば、不足を感じることはない。贅沢したいとか美味しい物を食べたいというような欲望が心に起こったならば、かつて自分が困り果てて苦しんでいた頃のことを思い出すがよい。堪忍することが、無事に長生きするための基本なのだ。怒りにかられることは自分にとって良くないことで、敵(かたき)のようなものだと思いなさい。勝つことばかりを知っていて負けることを知らない、つまり負けたらどういうことになるかを知らないでいたら、その害が自分の身体に至ることになるから気をつけなさい。自分を責めることだ、人を責めてはならない。金銭や物品、能力が及ばないことは、それらがあり過ぎる状態よりもまさっているのだ。
■沖縄への熱い想い
現代の日本の教育はきれいごとが多いと思う
高度経済成長期の日本は「努力」すれば必ず報われる時代だった。しかし、今の時代は「努力」するだけはダメな時代になってしまった。
今の子ども達は学校で
「まじめに努力する」事しか学ばずに卒業する
結果、
日本の競争力の低下は目を見張るモノがある自身で道を切り開く事を学んでいないので、経済は下降線をまっしぐら
努力することはとても大切な「土台」ともなるべきものだが、それだけで生き抜けるそんな甘い時代ではない!
だから、
努力してその結果、「力」をつけること。いや、力を手に入れること。その事を学び・経験しなければならないと思う!(力=経済力)
歴史的にも、
強い戦国大名の共通点のひとつは時代の最新兵器「鉄砲の保有台数」だった。
(力=経済力)
いい例が沖縄である
経済力の無い琉球は、関が原の合戦のわずか9年後の1609年時点でさえも時代の最新兵器「鉄砲」を保有していなかった。
薩摩侵攻のときに
島津軍のわずか300挺の鉄砲の前に振るえおののき、全く抵抗することができなかった。
さらに驚くことに、
400年前の教訓が、現代の沖縄に全く生かされていない、いや、大人が生かそうとしていない事に驚く。現在、沖縄は「学力」「経済力」ともに日本国内でダントツのダントツの最下位である。(ただの最下位ではない事に注目!)
沖縄の特徴は、
※努力を積み重ねれる人がずば抜けて少ない
※東南アジアや、中東のように、一致団結できない性質である
以前、万年最下位の「阪神タイガース」の監督に就任した頃の「星野」監督の言葉が印象的である。
「おまえらプロとして、毎年最下位なのに良く街を歩けるな!」「恥ずかしくないのか?!!」
阪神タイガースは、星野監督の就任2年目にして、みごとリーグ優勝を果たしたことは僕の記憶の中ではあたらしい(就任1年目は4位、みごと最下位脱出!)
人は意識を変え、環境を変え、切れる人々と一致団結することで、大きく変化することができる
それは、沖縄も例外ではないと僕は思う
がんばれ沖縄!
今のわれわれ大人が「努力」することをいとわず、大人自身がまず行動し「範」を示し、次世代の子ども達に伝えれば、必ず事は好転する。
人間は常に「楽」な方「楽」な方へ流されてしまう!
その時こそ、自身の手綱を締めなおし気合を入れるべき時!
「YOSHIKA」は、
成長するために、
また、
「僕」と「僕の家族」もビジョンを持って、
ひとつひとつ丁寧に「努力」を積み重ね続けていく!
長文を最後まで読んでいただきありがとうございましたw
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